米倉斉加年が描いた絵本の朗読をします
お呼びいただいた場所へ伺って、米倉斉加年が描いた絵本の原画を展示し、絵本の朗読をします。法人・施設・学校などどちらへもお伺いします。
電話でのお問い合わせは、(有)まさかね図案舎 米倉日呂登につながります
絵本『多毛留』( 米倉斉加年 文・絵)
1976 年に絵本『魔法おしえます』(文・奥田継夫)でボローニャ国際児童図書展の子供の本の部でグラフィック大賞を受賞した翌年、1977 年に連続してグラフィック大賞を受賞した作品です。
この『多毛留』では青少年の部での受賞でした。
出版されている絵本の帯にはこうあります。
四度目の脱帽 井上ひさし
わたしは役者としての米倉斉加年に脱帽する。
知的にひねくれた人物像の創造については彼は本邦第一の能力を持っていると信ずるからである。
だが、演出家としての彼にわたしは二度脱帽する。
彼の問題意識の鋭さは常凡をはるかに超える。
しかし、画家としての彼には三度脱帽しなければならない。
細密巧緻な彼の絵が常に立ちのぼらせているこの妖しい雰囲気はわたしの魂を人界の外へ吹き飛ばしてしまう。
そしていま新たに彼の文章に四度脱帽しなければならない。
簡にして潔、読む者の胸を抉えぐる。
それにしても米倉斉加年よ、いったいきみはわたしたちに何回帽子を脱がせれば気がすむのだ。
この『多毛留』はドラマチックでもあり、音楽の素材として、オペラ、舞踊に使われたり、映画にさせてほしいとの依頼もありました。
しかしこの絵本の良さは、絵と文章にあります。
米倉斉加年の偏見のない優しい視線で見る世界が、これまで私たちが見たことのない世界として広がってゆきます。
絵は見てもらえればわかると思いますが、文章は音で聞くことで、米倉斉加年が皆様にお見せしたかった世界に誘えることと思います。
ドラマチックな朗読を聞いていただきたいと思います。
米倉斉加年の文章は音で書かれた文章です。絵を見て音を感じ、音を聞いて絵をイメージしてください。
絵本「多毛留」原画
全18 点
40 cm × 50 cm (3点) / 70 cm × 90 cm (15 点)
(全てを展示するには、幅90 cm のパネルが18 枚必要です。)
通常の企画展では1 ヶ月間が目安となります。
原画を見ながら朗読を聞いて頂く企画ですと、1 日だけの展示で、原画の一部でも十分に楽しんでいただけると考えています。
電話でのお問い合わせは、(有)まさかね図案舎 米倉日呂登につながります
絵本『おとなになれなかった弟たちに… … 』
中学1年生の国語の教科書として広く採用されている光村図書出版より、1987 年から掲載されています。
一つの作品がこれほど長い期間掲載されることは希で、絵本ですが文章として、多く読み継がれています。
この絵本は物語ではありません。
父の中に、米倉斉加年とともにありつづけた、事実です。
これはその事実のデッサン(写実)です。
鉛筆で書いたのも、そのためだと考えられます。
朗読の依頼が多くありましたが、感情に惑わされることはありませんでした。いつでも、文字をきちんと読んでいました。
父の役者の師である宇野重吉先生は、朗読の名人といわれていましたが、朗読に関してこう言っています。
「音にすることで、字を飛ばさずに読める。
黙読や、暗記して読むのは、話を自分勝手に作ってしまい、その勝手に作った話を読むことになりかねない。音にするのはそうならないためだ。」
と。
父の『おとなになれなかった弟たちに……』の朗読はまさにそういう朗読でした。
私はこの朗読を続けていきます。絵を担いで、日本中を朗読して回ります。これは「戦争を知らない子供たちに……」書かれた絵本です。
少年よ…… 李恢成
あの時代が、どんなにひもじいものだったか、ぼくらは知っている。
けれども、この一冊の絵本にまさる少年哀歌はいったいどこに存在するだろう。
弟のミルクを盗んでしまった少年よ、きみはその日以来、なんと罪深い人間になってしまったのか。
終生、きみはこの原罪にこだわって生きつづける。
ある日からのジャン・バルジャンのように。
それにしても、きみは優しい男だ。永遠に成長することをやめた弟たちへのきみの哀しみが、こんなに大きかったとは……
絵本「おとなになれなかった弟たちに・・・」原画
全17 点44 cm × 56 cm
〈180 cm の展示パネルに3 枚掛けられます。6 枚分必要です)
米倉斉加年の絵と朗読を、次代につなげるには、多くの方に見て聞いてもらうことだと考えています。維持管理することも、多くの方に見て聞いてもらうことだと考えます。
米倉日呂登
電話でのお問い合わせは、(有)まさかね図案舎 米倉日呂登につながります