第1回 米倉斉加年の仕事 青春の道標

第1回 米倉斉加年の仕事 青春の道標

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第1回の、この『青春の道標』は2001年に日本経済新聞に連載された、米倉斉加年の青春の道標です。


青春の始まりは人生の始まりである。

始まりは四歳ぐらいだったろうか――。
我が家の裏に住んでいた歌の上手な兄(あん)ちゃんに抱かれていた。
彼は東京の空を指して私に言った。「マサカネちゃん、大きうなったら東京へ行って役者になりンしゃい」。今でもこの言葉は耳に残っている。
後年、撮影の合間のひと時にこの話をすると、山田洋次監督は「案外そんな言葉が一生をつき動かしているのかもしれませんねェ」と。そうかもしれない。私はこの言葉につき動かされて役者になり、ここまで生きてきたのかもしれない。言っておくが、その時の「東京」の距離は現在の「月」よりはるかに遠かったのである。

一九五四年に上京した私は、高円寺にあった松村達雄さん主宰の五十人劇場の研究生となった。正月の休みは帰省して家業の炭屋の手伝いをしていた。その疲れもあって元旦は奥の薄暗い座敷でごろごろしてい。すると表の方で声がする。誰か新年の挨拶に来たらしい。聞くとはなしに聞いていると、あのなつかしい裏の兄ちゃんの声である。私は起き上がって聞き耳をたてた。私とは十歳くらい違っていたから、もう三十歳は出ているはずだ。新年の挨拶は立派な口上であった。続いて「私も念願かなって、芸で身を立てることが出来ました。つきましてはその披露を、明日一時より町内のはずれの角の空き地で行いますのでよろしかったら是非お運びください。」との丁寧な案内であった。

翌日、私は家の裏口から出て裏道を通り、いったん町内を出て我が家とは逆の方からその空き地へ近づいた。正月の町内は人通りがない。電柱に身を隠してのぞき見ると、小型の蓄音機から流れる「野崎参り」の曲に合わせて、紙製の日本髪のかつらをかぶり、一枚のござの上で、赤い長襦袢姿で踊っていた。観客は子供が五、六人いたか――踊り終わった兄ちゃんは薬の試供品を配った――薬の宣伝販売である。映画の寅さんと同じ大道香具師なのである。

私に「東京へ行って役者になりンしゃい」と言ったのは、あれは兄ちゃん自身の夢だったのである。

大道に立つ兄ちゃんの姿には孤高の誇りがあった。私の心は激しくゆり動かされた。その時私は演劇の第一歩を踏み出したばかりであった。前途は真っ暗だが、その未知なる未来は洋々としていた。私は大道芸を目指して上京したのではなかった。しかし、大地に立った彼の姿は夢を果たした達成感があった。兄ちゃんが急に身近に感じられた。その時の感動は年を重ねるごとに厚くなってくる


冒頭1ページ 抜粋


全24ページ
2015年9月30日発刊